『地球物語』」意訳シリーズ3             2003,11,02
 
 
 「化石は昔の生き物の証拠」と説いた
    変わり者の医者, ニコラス・ステノ物語
 
                        西村寿雄
 
 
  みなさんは, 野山を歩いた時に, 上のような崖(がけ)のしま模様を見たことがありますか。「見たことはあるけど,別にたいして気にとめなかった」と言う人もいるかもしれません。
 今から400年も前, このような地層のしま模様を見て,地球の成り立ちについて考えたり,中から出てくる貝殻のルーツを考えたりする人がいたのです。これから,その人の話を始めまょう。
 その人とは,スウェーデン生まれのもの好き,ニコラス・ステノさんです。時は17世紀半ば, ヨーロッパでのお話です。
 ある日, 駅馬車の馭者(ぎょしゃ)(馬をあやつる人)は, その外国人の旅行家には, すっかりあきれはてていました。なにしろ, 一日中面白くもなんともない, けわしい川のふちの崖(がけ)を, 行ったり来たり, しゃがんだり立ち上がったりしているだけなのですから。
 この変わり者の外国人は, 大公爵(こうしゃく)さまのおかかえの医者で, 有名な解剖(かいぼう)学者のニコラス・ステノさんです。幸い, 大公爵(こうしゃく)様は健康に恵まれていましたから, このステノさんはひまがありあまっていました。おかげで,ステノさんは十分な時間をかけて, 山や谷を歩き回ることができました。この日も, ステノさんはくずれた崖(がけ)や深く切り掘られた崖をていねいにスケッチしては, 首をかしげたり考えごとをしたりしていました。
 「草や木の根のはびこった下に,やわらかい粘土とぼろぼろの砂がある。砂だけの場合もあれば,粘土や小石とまざっているところもある。その小石は,水の流れで丸く小さくされた形をしている。あそこでは,たくさんの小さな貝殻(がら)が見つかった。同じ種類の貝殻(がら)ばかり,いっぱいつまっているところもあった〉と,各地の観察結果を思い浮かべました。
 
 ステノさんの見たこのような小石や砂や泥のまじったしま模様を地層といいます。今のわたしたちもこのような地層をときどき見かけます。そして時には,貝殻や植物の化石の入っている地層を見かけることもあります。
 このような地層はいったいどのようにしてできたのか,あなたは想像してみたことがありますか。友だちどうしで話しあってみましょう。
 ステノさんは, 各地の地層を見てこんなことを頭に描きました。
 
〈 雪解けの流れや夏の川が,多くの石を谷間から平野に運ぶ。川の  流れによって運ばれた石は,細かく割られて砂や小石となり,小石は 川底に沈む。砂は川水によってさらに海へ運ばれ,底に沈んで河口の 砂地を作る。そして,そのときそこに棲()んでいた貝もいっしょに砂地 にとじこめられて, やがて貝殻(がら)だけが砂地の中に残る。〉
 
 どうですか。みなさんの思い浮かべた考えと似ているでしょうか。かなり違うでしょうか。このステノさんのような考えは,ステノさんよりもっと昔,およそ500年前にレオナルド・ダ・ヴィンチという人も考えていました。しかし,ダビンチの後, 地層の中の貝殻の研究をする人はあまりいなかったのです。
 
 ステノさんは,地層から出てくるたくさんの貝殻(がら)について, まずは,今までの学者たちがどんな考えを持っているのか調べてみました。調べてみると驚くことばかりでした。他の学者たちの考えは〈この貝殻は,世界を創造(そうぞう)した「創造者(そうぞうしゃ)」 の創られたものである〉〈何かの脂肪(しぼう)のようなものが熱で変化して貝殻のような形になったものである〉 〈天体の影響(えいきょう)で,たまたま貝の形になった石にすぎない〉
などなどでした。ステノさんはどうしてもこれらの学者の考えを信じることはできませんでした。
 ステノさんは,地層の中から発掘した貝殻の多くは,今も生きている貝の殻と,そっくりそのままの形であることを見つけていました。
 地層から出てくる昔の生き物の証拠を今では〈化石〉と言っています。でも,当時では, まだまだ地層から出てくる貝殻(がら)などがが昔の生き物の証拠(しょうこ)だという考えは多くの学者の中では認められていませんでした。
 それは,ひとつには,アンモナイトという貝の
化石が見つかったからです。アンモナイトはすでに6500万年前には絶滅(ぜつめつ)していました。
アンモナイトは, 当時でも,もう生きた姿は見られなかったので,〈アンモナイトはこの世に生まれていない神の作り物〉だと言われていたのです。
 ステノさんは,さらに,湖など淡水(たんすい)に棲()んでいる貝の化石も見つけました。ステノさんはまた,地層の中から大きな魚の歯らしい化石も見つけました。ステノさんがこの化石をよく調べてみると,それは,地中海でとれる大きな鮫(さめ)の歯と同じ形でした。
 その鮫(さめ)の歯は,当時グロッソペトラ(舌(した)の石)と呼ばれていて,〈月のない夜に空から落ちてくる蛇(へび)の舌(した)〉と信じられていていたものです。その歯の化石が地層の中から見つかったのですから,ステノさんはますます〈化石はかつての生き物の証拠だ〉という自分の考えに自信を深めました。  
 
 ステノさんは,さらに化石の出る地層を調べました。
 すると,海水の層と真()水(淡水)の層とが交互(こうご)に重なっているところも見つけました。このような海水の層と淡水の層があることについてステノさんは,〈海水が広く地表をおおっていた時代と反対に海水が退いていた時代が,何度も繰り返し起きていた〉と考えました。
 地球には寒い気候と暖かい気候が交互に起きていることが,その後の植物のタネの化石研究で確かめられています。暖かい気候の植物と寒い気候の植物とは種類が違うからです。暖かい気候になると極地の氷がとけて海水面がかなり高くなり, 海水が広く地表をおおうことになります。
 そのほか,ステノさんは傾いた地層もたくさん見つけています。ステノさんはこのことについて,〈地下の水蒸気の力で,地球の内部から地層が押し上げられて傾いたのだ〉と考えました。みなさんはどう思いますか。    
 この考えが正しいかどうかは別にして, ステノさんはすでに地球内部からの力の活動を予言していたことは確かです。        ステノさんはまた,地層によって化石の硬さが違うことや,ぜんぜん化石の見つからない地層のあることも見つけています。そのことによってステノさんは,地層にも「原始的な地層」(今で言う古生代(こせいだい)の地層=約数億年前の地層)のあることを発見しています。
 ステノさんは,こうした観察から〈地層は上になるほど新しい地層である〉〈地層ができるときは水平にできる〉という,今の地質学の法則のもとになる考えも発表していました。これは,今では〈地層累重(るいじゅう)の法則〉と呼ばれています。〉
 
 しかし、まだまだ,ステノさんが生きていた17世紀の頃は,このステノさんの考えを多くの人が受け入れるまでにはならなかったのです。地球の姿をとらえる科学の研究は,地質学を研究する人たちによって一歩一歩進められていくのです。
 
★ニコラス・ステノ(Nicolaus Steno 1638-1687)デンマーク読みではニール・ステンセン     

                     「研究」へ